Message 2005.1〜12

寿光院TOPへ 2004年のメッセージ 2003年以前のメッセージ

12月30日
御礼:ガザでのジャンパー配布のご報告ほか

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2005年もパレスチナ子どものキャンペーンの活動に
ご協力をいただき、ありがとうございました。


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 パレスチナ子どものキャンペーンでは継続している各地での事業に加えて、この冬ガザやヘブロンで貧しい家庭の小学生を対象にジャンパー配布を進めている最中です。

(詳しい報告と写真は近日中にホームページに掲載します
      URL:http://www32.ocn.ne.jp/~ccp/ )


 ガザでは、夏までイスラエル入植地があったハンユニスを中心に今回は配布をしています。特に、海と入植地に挟まれて、陸の孤島となっていた「マワシ」と呼ばれる地域で今年は配布をすることができました。

 マワシ地区は日に1度しか開かない、ひどいときには何週間も閉鎖されたイスラエル軍の検問所があり、住民以外は出入りが許されなかった地域で約5000人が住んでいます。入植地がなくなったとはいえ、生活状況がほとんど改善されていないのです。

 この地区の問題は学校がたった一つしかないことです。同じ校舎が午前は女子校、午後は男子校で小学生から中学生まで合わせて1500人。最近まで他の地域から教員を呼ぶことができず、字の読み書きができるだけで教員をしている人も多いということでした。校内に入ると埃っぽく、とにかくたくさん生徒がいてごった返しています。一時期は3交代を組んでいたときもあったとか。

 先生たちも大勢の生徒をまとめるのに必死で、棒や鞭のようなものを持って生徒に言うことを聞かせている様子で、女の先生も例外ではありません。女の子にもバシバシやっているのが見られます。地元NGOのスタッフが「体には当てていないのよ」と弁護しますが、女の子はおびえていました。体に直接でなくても鞄には当てているし、お客がいない普段はきっと叩いているに違いありません。それでも子どもたちは男女共にエネルギーに溢れている印象を受けました。小さい子どもたちはみんな汚い格好が目立ちます。足元はつっかけサンダルを履いている子がほとんどで、靴を履いているのは一握りだけでした。

 イスラエルでは来年春に予定されている選挙に向けて、シャロン首相が新党を結成するなど政治的流動化が起きていますが、パレスチナでも1月に予定されている国政選挙にむけて、自治政府のアッバス議長の与党である「ファタハ」が分裂し、事前の地方選挙ではイスラム政党の「ハマス」が圧勝するなど緊張が高まっています。それに対して米国やEUは 「ハマス」が自治政府に参加した場合には、経済援助を凍結することを示唆しています。ですから、政治的な思惑で後回しにされる子どもたちの生活や教育への支援を地道に続けていくことがいっそう重要になっているのです。

 2006年、キャンペーンは設立から20年を迎えます。これからも国境を越え、子どもたちの未来のために皆様と一緒に活動を続けたいと願っています。来年もよろしくお願いいたします。

 どうぞ良いお年をお迎えください。

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特定非営利活動法人 パレスチナ子どものキャンペーン
Campaign for the Children of Palestine(CCP)
〒171-0031 東京都豊島区目白3-4-5 アビタメジロ304
Tel:03-3953-1393 Fax:03-3953-1394
Email: ccp@bd.mbn.or.jp
HP:http://www32.ocn.ne.jp/~ccp/




12月28日

“子どもの安全”から考えたこと

 昨今の子どもが犠牲になる事件の多発を受け、私たちの地域でも緊急の連絡会議があったりして、子どもたちを守ることが町の大きなテーマとなっています。江戸川区内全部の小学校で一斉集団下校日とし、親や関係者はその時間に外に出て見守るようにとの印刷物がまわってきた時、ヘブロンのクリスチャン・ピースメーカーズ・チーム(CPT)のことを思い出しました。
 CPTは主に欧米のクリスチャンによる国際NGOです。そのイラクチームのメンバー4人が、イラクで武装グループに拘束されており、その安否が気遣われています。すでに1ヶ月以上経過しましたが、この3週間は情報も途絶えています。(水面下で交渉が行われていればいいのですが・・・)
 2年ほど前、パレスチナでヘブロンのCPTの事務所を訪ねました。そこでの彼らの第一の活動は、通学するパレスチナの子どもたちをイスラエル人入植者から守ることでした。

ヘブロンのCPTオフィス入り口。向こう側の道は策で遮断されている

 ヘブロンは、イブラヒム(アブラハム)とその妻の墓があるといわれる聖地で、イスラエルの入植地がパレスチナ人の町と混在していて、その入植者を保護するという理由で、イスラエル軍が街中に展開しています。“入植者手当”で生活する入植者たちの日課は、住民への妨害や暴力、嫌がらせです。玄関先や通りにゴミや汚物をまき散らしたり、道行く女性に屈辱を与え、子どもたちにも暴行を加えるのです。まったく大人げない苛めと嫌がらせの毎日を恥じることのない人々の精神構造も哀れですが、パレスチナ人の老人をいたぶるイスラエル人入植者の子どもたちには、子ども支援のNGOの一員としてどうしようもない悲しさを感じます。そして、入植者を守るという名目の軍隊は見て見ぬ振りで、メディアがこの“日常”を伝えることはほとんどありません。

ベツレヘム方面からヘブロンしないに入る所。土盛りで通せんぼされている

 私も91年以来、何回かこの町を訪れましたが、2年前、かつては賑わっていた旧市街のスーク(市場)がまるでゴーストタウンのようになっているのを目の当りにしました。破壊された家の瓦礫や鉄屑が道を塞ぎ、いたるところを金網や鉄条網で遮断され、オスロ合意でパレスチナの自治が約束されたはずの地域から、嫌がらせに堪えかねた住民がどんどん去っています。ガザ地区からの入植地撤退が大きく報道されましたが、今なお入植地が拡大している西岸の状況はやはりほとんど伝わりません。


千年以上昔からの旧市街の市場も閉ざされている

 CPTのボランティアたちは、入植者の暴行から子どもたちを守ったり、何かにつけてパレスチナ人を抑圧するイスラエル兵と交渉したりしながら、インターネットなどを通じここの事実を世界に伝えています。《http://www.cpt.org/》 しかし、このような声は、力の側のプロパガンダとなった巨大メディアの前にほとんどかき消されてしまいます。

 この二つの現代社会における共通点は何かとあれこれ考えたのですが、弱い子どもが犠牲になるのは、社会全体の構造が暴力的な“弱いものいじめ”になっているからではないかと思うのです。そこでもう一つ、通学する子どもを危険から守るということでは“チマチョゴリ事件”に代表される在日の民族学校生徒に対する苛めや暴力が思い起こされます。話し合いや信頼による民主主義など建前ばかりで、実際は“力関係”で決せられる社会で、個人のメンタリティも依存と支配の重層の中に埋没してしまっているかのようです。犯罪や嫌がらせに出なくても、差別的な優越感をもつことはないでしょうか。とくに情緒性を帯びた「力」は、弱者の声に耳を貸さず、自らの問題を振り返ろうともしないという性格を持ちます。子どもの安全にかかわるいくつかの会議に出席しましたが、子ども自身がどう感じているのか、子どもの声や意見が語られることはなく、質問してもそれは想定外という感じでした。
 いま、人間性や人間社会の高まりに逆行する、日本と世界の政治、経済、軍事、情報における“力の支配”から方向転換するためには、子どもやマイノリティなど社会的弱者、そして構造的被抑圧者の視点から、この世の中を見直していくことが必要だと痛感しています。


12月12日
「思い込み」の原因
「図解 『テロとの戦い』の本当の対立軸」にいただいたコメントへの返信として

 現在の世界は、「テロ対策」の名の下に戦争がどんどん拡大し、私たちも巻き込まれていきます。
 私は1991年以来、イスラエル及びパレスチナの問題を考え、平和を希求する双方の人々と付き合つつ現地と関わってきました。そこで、私たちが思い込まされていることが、じつは大きな間違いであり、そのことが紛争、抑圧、差別、貧困など、一部の人々を苦しめる問題状況を固定化あるいは悪化させているということを痛感させられることになりました。

 そして、思い込ませようとする側には必ず「意図」があるはずです。

 イスラエル・パレスチナにおいては、多くの人々が「民族対立」「宗教戦争」と思い込んでいます。3つの宗教の聖地であるエルサレムは、対立のシンボルとみなされています。あるいは数千年の歴史を踏まえなくては解決できない問題として、それ以上考えることをやめてしまいます。もしくは、一神教の人々は排他的で絶対共存など無理だと見捨ててしまいます。
 確かに長い歴史の中で、争いもあったでしょうし、時の政治において抑圧や差別もあったでしょう。しかし、数千年を経て、今なお3つの宗教の町が残り、人々がそれぞれ祈り、生活をしているということは、圧倒的に共存のシンボルであると捉えるべきだと私は思うのです。実際、その場に身をおけば、一部のシオニストがアラブ人を追い出そうとしているとしても、それぞれの暮らし、宗教、文化が共存していることを、だれもが実感するでしょう。

 紛争や差別など、現象として現われる問題は、その時々において必ず原因があり、その状況を作り出す構造があります。それを追求し、認識しなくては、原因を取り除き、構造を変えて、本来の解決の方向へ向けることはできません。

 今の問題の直接的な原因は、イスラエルによる軍事占領であり、問題の本質は「暴力の連鎖」ではなく、パレスチナ人に対する抑圧や人権侵害です。そしてそもそもの原因をつくったのは、国連の分割決議であり、イスラエルの一方的な建国です。もちろんイギリスによる委任統治やユダヤ人への迫害など、そこに至る経緯も説明できますが、少なくとも47年の時点で、別の選択肢や進め方はあったはずです。
 人々の間違った「思い込み」は、本当の原因や構造への追求を止め、問題の解決を阻害しています。その思い込みのために、イスラエル・パレスチナ問題に関して、和解や赦しをテーマに語られることがあります。しかしそれは、本質的な問題から人々を遠ざけ、本来法的、論理的に判断すべきものを、情緒的に誘導するという策略に陥れかねません。

 私はそこに「意図」を感じます。その思い込みを「擦り込む」のは政治的なプロパガンダであり、商業メディアです。商業メディアは、「売る」という目的のために、問題を単純化したり、受け手の好みに合わせるということもあるかもしれません。商品としての報道では、悲惨さを“ウリ”として「事件」として扱われることが圧倒的に多くなります。そこに登場する“キャスト”は、期待される役割を演じる形で、さらにイメージを固定化されていきます。
 しかし前提として、商業メディアは、スポンサーの意向に沿う道具という立場だということを考えなくてはいけません。つまり、メディアを支配する構造に眼を向けるべきだということです。さらに言い換えれば、人々の思い込みをコントロールするものの正体を見極めることが必要だということです。

 もちろん今述べたことは、状況証拠にもなっていない推測に過ぎないかもしれません。だからこそ現場を尊重し、記事にはならない人々の生活に根ざした理解が必要です。生身の一人一人が持つ共感や反感、優越感や劣等感、自尊心や羨望、説明の出来ない好き嫌いなどについて、個人の資質、宗教や文化、政治経済的な都合など、由来するものが何かということも、つき合っていると見えてくるものです。
 イスラエルからもパレスチナからも好意的に受け入れられるというアドバンテージを持つ私たち日本人は、NGOとして草の根の活動や交流を続け、人々の不安や怒りなどの苦しみに寄り添ってきた切実さと、その苦しみから立ち上がった双方の平和的で前向きな活動との連携をベースに、状況認識を深め、問題のメカニズムを捉えようと努めてきました。その上で一つの見解を示させていただいたのが、『図解 「テロとの戦い」の本当の対立軸』です。

 当然これで全てが説明できるわけではありませんが、アフガニスタンやイラクで、混乱を引き起こし多くの人々の命を奪う側に私たちがついたのも、S・ハンチントンの『文明の衝突』や911同時多発テロ、そしてTVネットワークやハリウッドを動員して、思い込みと感情による“過ち”を犯させる構造にはめられたからです。
 民主的な社会に生きているという思い込み、十分な常識と知識を有しているという思い込みが、歪んだイメージを擦り込む策にひっかかってしまったことを認めさせません。自分たちが不当で強引な力に支配されている自覚がありません。
 強欲や感情や無知という人間の弱さによる過ちを制御するのは、かつては神や宗教でした。しかし世界の歴史は、さまざまな文化や価値観を相対化しつつ、過ちを教訓とし、国際法をはじめとする普遍的なルールを形成し発展させてきました。まだまだ武力(暴力)が解決の一手段であるという現実はありますが、国際法をはじめとする合理的な法規に則った話し合いが優先される方向に向かうべきだと考えます。そういう知性を発揮し、高めていくのが、とりあえずこの地球を支配している人間の使命であり、共存への条件だと思います。
 ここで気づくべきことは、そのような人類社会の知性の到達点にありながら、嘘の情報で思い込ませ、感情で煽る側の意図です。法や論理ではなく「好き嫌い」の多数決に持ち込むトリック、あるいは「テロリストか正義か」「改革か否か」といった内容の伴わない乱暴な二者択一の罠です。

 私は決してテロや暴力を肯定するものではありませんが、私は単純にパレスチナの人々に「抵抗するな」、子どもたちに「石を投げるな」と言うことはできません。圧倒的な武力と政治経済力と情報力によって彼らが追い込まれていく現実を具に見ているからです。そして不正義を放置する世界中の「思い込み」が、彼らに無力感と絶望を与えていると実感するからです。
 そして、生命を危険にさらされ、人間として生きる時間を奪われている彼らの視点からこそ、本当の世界の構造が見えてきます。私は「パレスチナ子どものキャンペーン」の活動だけではなく、イラク、アフガニスタン、スーダン、北朝鮮、カンボジアなどでの活動に責任を持つ「日本国際ボランティアセンター(JVC)」の理事として、この“対立の構図”が現在世界で共通するものであると確信しています。



11月7日

人を駆り立てるもの

〜NGOとボランティアの本質を考える


 昨日(6日)はJVC(日本国際ボランティアセンター)の25周年のイベントが代々木のオリンピック記念青少年センターでありました。昼間は法務(法事などお寺の仕事)があり、記念シンポジウムには間に合いませんでしたが、パーティーに出席し、懐かしい人々とも久しぶりに再会しました。

 現在、理事として組織に関わっていますが、JVCは私にとって最初のNGOです。80年代、国連も認めず内戦の最中にあったカンボジア国内で活動する唯一の日本のNGOだったJVCの門を叩きました。
 当時事務局長だった星野昌子さんがスピーチで、
「今ここにいる顔は25年前とは全員が同じではないが、顔つきは全く同じ。それはここにいる誰一人、動員されて来ているのではなく、そして国家を背負って活動しているのでもない。それぞれが自発的な意志で、人間として活動している顔だ」
とおっしゃいました。まさにNGOそしてボランティアの原点です。だからこそあの時代にカンボジアにいたわけです。

 国交もなく国連も承認してないところに行ったり支援したりするとは何事だと、非難されたり非国民呼ばわりされたこともありました。しかしそんな中傷や妨害は、自分勝手な立場を守るためか、現実を知らないか、本当の正義とは何かを考えないから出てくるものです。自ら問題を見つけ、自らの意志で飛び込み、自ら考えることで、人間は自らの責任を果たし自らの信頼を築き自らの命を生きることができます。それを学び、実践する場がJVCであり本来のNGOです。

 そんな「初心」を思い起こしつつ、25周年に集う「同志」の顔を見渡して考えたのは、自分を含めそもそも私たちを駆り立てたものは何だったのかという疑問です。まずは悲惨な状況を知りじっとしていられないと言う共感や慈悲心があります。では、それがない人との違いは何なのでしょうか。あったとしても行動するかしないか。それぞれの人格の基礎となるヒューマニズム、社会思想、宗教、文化、等々に根ざした情熱でしょうか。
 ボランティアが行動規範に組み込まれている宗教もありますが、それとは違う次元で内部から突き動かすものがあります。集団の意志ではなく、神や仏、あるいは真理や真実と向き合った個人の意志を自覚するからこそ、宗教や民族、思想信条を超えてつながり、尊重し合い、支え合い、高め合い、共通の歴史を認識し、現在を生き、未来の夢を共有できる。そんな実感を改めて感じた夜でした。


10月9日
図解 テロとの戦いの本当の対立軸

そして人々のかかわりと可能性

いま世界は、「テロとの戦い」を口実に、多くの人々が命を奪われています。しかし私には、日本も参加しているこれらの戦争が、一部の利権のための戦争としか思えません。戦争には大義名分が必要ですが、それは人々を巻き込むための大義名分であって、理由は別にあります。常にそうであったように。その理由と構造を捉えるための一つの例として、私が10数年来かかわってきた、イスラエル・パレスチナに関する私見を述べます。ご批判ご意見をお待ちしています。

 イスラエルとパレスチナ、あるいはユダヤとアラブ(イスラム)の戦いという、民族紛争あるいは宗教対立というのが、一般的な認識です。確かに地理的にも、実際に戦っている現象としてはそう考えるのは自然なことかもしれません。
 しかし、実際にこの地域で人々と接し、支援や交流活動を行ってきた者としては、まったく別の対立軸が見えます。
 当たり前のことですが、どちらの国や地域でも、大多数の人々(PEOPLE)は、自分や家族の幸福を願いごく普通に生活しています。
 そしてイスラエルにもパレスチナにも、暴力によらない平和的な解決をめざし、相互の協力や信頼を積み上げようとするNGOや平和団体がいて、人々に呼びかけながら活動しています。
 一方、実際に軍事行動やテロ行為のような暴力で支配しようとする、あるいは力による解決を主張する、イスラエルのタカ派やパレスチナの過激派と呼ばれる勢力があります。今の時代通常は、どちらにおいても、特殊で極端な輩と考えられ、大多数の人は距離を置いている存在です。
 しかし、イスラエル政府がパレスチナ人に対し強硬な軍事支配で圧迫したり、シャロン党首がイスラム教の聖地に侵入するなどの挑発をすると、
 過激派がメンツにかけてテロ行為を仕掛け、

 そのテロに対する怒りと不安が、イスラエルでタカ派の支持を伸ばします。
 そうすると、イスラエルは、テロ対策を口実に一層強攻策をすすめ、家屋や農地、工場などを破壊していきます。
 さらに自由を奪われ、生活が困窮するパレスチナでは、人々は宗教勢力に頼らざるを得ない状況も生まれ、過激派のプレゼンスが高まります。
 肉親や同胞が連行され、殺され、虐げられるのを目の当たりにし、絶望的な状況に追い詰められた人々は、家族の未来や民族の誇りのために、命の危険も顧みず抵抗するようになります。

 その結果、イスラエルでは社会不安が煽られ、パレスチナへの締め付けや攻撃、人権侵害が正当化されます。
 このように「暴力の連鎖」と言われる状況を構造的に捉えると、本当に対立しているのは、イスラエルとパレスチナという(この図における左右の)対立ではなく、力によって支配したいあるいは紛争(状態)を好む勢力と、信頼と話し合いで解決をめざす勢力という対立軸が見えてきます。

 紛争の拡大を利用して、双方の社会で武闘派が人々を絡め取っていくという点において、イスラエルのタカ派とパレスチナの過激派は利害が一致しているのです。

 そうなると、平和的解決を望むNGOや市民運動などは、暴力的な対応に反対することで、非国民やスパイ扱いされ、大衆は遠ざかってしまいます。
 暴力は常に「被害」を口実に実行され、相手に責任を転嫁します。その人々の感情やムードが武闘派を後押しし、暴力的な政策やテロ行為を容認し、不幸を拡大していくのです。
 しかし、それを構造的に捉えると、この「対テロ戦争」の「暴力の連鎖」に乗せられ、それを推し進めていく「人々」の役回り、言い換えれば責任に気づかされます。
 それは同時に、戦争を止める可能性が「人々」にはあるということでもあります。

 確かに厳しい状況ではありますが、私たちは今まで同様、平和を希求し、足元から平和と人権のために活動する人々と連帯し、真の市民社会を築いていきたいと思います。そのときは(どの世界にも少しはいる)「武闘派」も、一つの政治勢力として「民主的に」参加することでしょう。
大事なあとがき
 以上の図解で表現できなかった大事なことがあります。それは、最初の《左右》の対立が、じつは「対立と呼べるようなものではない」ということです。つまり、両者には圧倒的な立場の違いがあるということです。軍事占領という形で支配する側と支配される側を、普通は「対立」とは言いません。
 これはイスラエル・パレスチナ問題を考えるとき、しばしば欠落する点です。
 この問題を解決するのは、「和解」や「信頼」ではなく、その前に「人権」を問い、「解放」がなされなくてなりません。
 その意味でも、私たちは事件や現象のみに振り回されることなく、感情に揺さぶられることなく、冷静に構造を見極めることで、私たちの使命と可能性が見えてくるはずです。
 


9月30日

ガザへの軍事行動の即時停止を求めます

2005年9月30日
パレスチナ子どものキャンペーン


 ガザからのイスラエル軍と入植者の撤退が終わって、人々が開放感を味わったのもつかのま、ガザは再び恐怖に陥っています。

 ガザからの報告によると、ミサイル攻撃により犠牲者が多数出ているほか、道路、橋、学校などの建物が破壊され、ガザ市は停電状態ということです。またガザ地区の周囲はイスラエル軍が取り囲み、地上軍の再侵攻も心配されています。爆撃は子どもの通学時間帯や夜間、明け方に行われ、子どもたちの多くが不眠、恐怖、食欲不振などに苦しみ、早産や耳の痛みなどを訴える人が増えています。私たちが支援をしているアトファルナろう学校では、あまりにも生徒の通学が危険にさらされているので休校措置を取りましたが、衝撃によって窓ガラスが割れたり、いくつかの教室や備品に被害が出ています。

 撤退後にイスラエルが軍事行動を起こすのではないかという危惧は以前から言われていましたが、これほど早く大規模に行われると、多くの人々は予想しておらず、撤退による喜びから一転して恐怖に突き落とされた人々の精神的なショックは、非常に大きなものがあります。「ガザ全体が呆然としている」と精神科医のイヤド・サラージ氏は書いています。

 国際社会はイスラエルの撤退を歓迎し、パレスチナでの民生の安定を期待しています。しかし、この攻撃とガザの封鎖に加えて、西岸での軍事行動も強まっているために、パレスチナの政治経済はますます混乱を強いられています。また、私たちNGOの活動も中断を余儀なくされているのです。


1.長い軍事占領から解放されたガザの人々が、生活の建て直しとコミュニティーの再建に向けて動き出そうとする最中に起こされた軍事攻撃にたいして、私たちは強く抗議します。

2.イスラエル政府が現在の軍事行動を即時停止するように強く求めます。また危惧されている地上からのガザへの再侵攻を行わないよう求めます。

3.「ハマス」、「イスラミック・ジハード(イスラム聖戦機構)」などパレスチナ武装グループが、ガザからのロケット弾の発射中止と軍事行動をしばらく停止するとした停戦声明を守ることを強く求めます。またハマスがイスラエル入植者を誘拐殺害し、そのビデオテープを公表したことを非難し、パレスチナ側にも強く自制を求めます。

 ホワイトハウスで、イスラエルとPLOが原則合意書に調印してから12年。しかし、その和平が頓挫し、シャロン氏がエルサレムのイスラム教の聖域に立ち入ったことに端を発した現在のインティファーダが始まってちょうど5年経ちました。パレスチナ、イスラエル双方での市民の犠牲はこの5年間で5千人近くに上っています。これ以上の犠牲者を出さないためにも、ガザからのイスラエル軍撤退が第一歩となりイスラエルによる西岸、エルサレムの軍事占領が終結に向かうよう、国際社会はその働きかけを強めなければなりません。

4.米国政府がイスラエルに自制を求めるよう、強く訴えます。

5.また日本政府が事態の沈静化にむけて最大限の外交努力を払うよう求めます。

6.日本をはじめとする世界の市民が今回のガザ撤退で、パレスチナ問題が解決したかのように錯覚し、この問題への関心を失うことがないよう強く訴えます。国際的な関心の低さが問題の政治的解決を難しくし、事態の悪化を招いたという苦い経験を繰り返してはなりません。


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9月25日

秋彼岸 改革のための《智慧》

 太陽が真西に沈む彼方に、先祖のいる極楽浄土を思い、お墓参りをするお彼岸。彼の岸とは、私たちが住む迷いの世界(此処の岸)に対して「覚りの世界」を指し、その覚りをめざすための修行の1週間が本来の「お彼岸」だ。修行とは《布施》《持戒》《忍辱》《精進》《禅定》《智慧》という六波羅蜜(ろくはらみつ)の実践である。今季は特に《智慧》について考えたい。

 仏教と言うと、心の問題を扱うと思っている人がいる。確かにそういう面“も”ある。しかしそれは間違いだと私は思う。「信じるものは救われる」的な「信仰」でもない。「いかに生きるか」を問題にし、それは各個人の主体性の上に、理性的で合理的な判断に基づくものでなくてはならない。慈悲心を具えていなくてはいけないが、感情に流されてはいけない。単なる処世ではなく、真実への妥協のない行動が、ほんとうの智慧の表れであり、仏教信仰者の生き方なのだ。
 だとすれば当然「覚りの世界」も、心の中の解決を言っているのではない。ならばその解決(ビジョン)は、私を取り巻く全てとの関係を捉えた上でしか成り立たず、さらにはその社会あるいは自然への具体的なコミットメントを含めた生き方の先にある。

 曖昧なイメージや好き嫌いという感情は、事実をありのまま見る目を曇らせる。漠然とした不安と不満に取りつかれた意識は、いたずらに憎悪を増幅させる。そんなワガママなココロをもてあそばれ、物事を冷静に構造的に捉える人間本来の能力が発揮できない。「力(支配する側)」と戦うという発想を持たず、弱いものいじめをする側に付こうとする「本能」を具えてしまった人々は、理性や知性への暴力には鈍感だ。

 今回の選挙を「悪徳リフォーム」を引き合いに批判する論考をいくつか読んだ。「改革」を英語に直すと「リフォーム」になる。いずれにしろそれ自体は、何の本質的価値をあらわすものではない。何がどうなっているからそれをどう直すのか。それは何のため、何をめざすのか。というようなことが、ひとつひとつ検証・確認されないまま、「ガンバッテル」とか「カッコイイ」というムードがつくられた。不況の折だけに公務員へのやっかみが煽られているが、公共の社会資本を私有財産にすることが公共の利益になるとは思えない。他の民間業種と比べても、顧客満足度がトップクラスの郵便窓口業務をわざわざ民営化する必要があるのか。350兆円のうちの多くを不良債権化させてきた構造的問題をもっと掘り下げて検証すべきではないか。そして憲法もふくめ「改革」しようとしている内容には大いに疑問を持っている。

 NGOスタッフとして世界の各地で住民の目線から、私たちの国や企業が、搾取や環境破壊の上にこの国を成り立たせている現実を目の当たりにしてきた。企業が生き残るために生産拠点を海外に移した分、国内では失業者が発生した上、対外依存度も高まり国際情勢に振り回されている。先進国や多国籍企業が進めようとしている経済のグローバリゼーションや金融ビックバンは、南北間や国内の様々な次元での格差を拡大し、勝ち組負け組の差を際立たせた。

 このような持続不可能、共存不可能な資本主義経済の根本的なあり方こそ改革の対象とすべきではないのか。国家レベルであろうが草の根レベルであろうが、“市民”が主体となって構造を変え、足元から積み上げ、自分たちを守っていく例は世界に数々ある。にもかかわらず、商業メディアや「公式見解」に支配される日本においてその情報は非常に乏しい。真の民主主義、市民社会とは、自らの責任と可能性に目覚めた人々が、正確な情報と論理的思考に立脚した《智慧》に基づき、社会と未来をよりよい方向へ変えることができるシステムのはずだ。

 私たちはすでに契約を交わしてしまったかもしれないが、実際に手をつけるのはこれからだ。まだまだ変え方や残し方、あるいは運営の仕方について検討する余地はあるはずだ。コストを負担するのは私たちなのだから。



8月12日
転送歓迎
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イスラエル軍のガザ撤退に際して

特定非営利活動法人パレスチナ子どものキャンペーン
 (2005年8月12日)

■巨大な監獄と化さないように

 パレスチナ人たちは、一日も早い軍事占領の終結と自分たちの国を持つことを長年望んできました。米国からの圧力に加えて、ガザを維持することによる負担を重荷に感じるイスラエル社会の動きを反映した今回のガザ撤退について、現地の人々は歓迎しながらも、常に不安を抱いています。

 その第一は、イスラエル軍はガザから撤退し、入植地も撤去した後にも、ガザと外部社会とをつなぐ地点や海上と空の交通の支配権を握っているのはイスラエル軍であるということです。つまり、中にはイスラエル軍はいなくなったとしても、ガザの出入りは物も人もイスラエルに管理されるという状況には変化がありません。したがって、その判断次第で移動の自由がないという状況は続くことになります。その結果、ガザが巨大な監獄になるのではないかという心配がされています。

■ガザ撤退で終わりにしないために

 第二に、ガザ撤退によって入植地がもうひとつの占領地であるヨルダン川西岸地区にただ移設されるだけに過ぎないのではないか? それどころか、国際法で禁じられているヨルダン川西岸の土地の収奪と入植地建設がもっと加速されるのではないか? という心配です。すでに、ヨルダン川西岸の土地では入植地の拡大や新設が進んでいて、入植地群が土地の40%を占めるまでに広がっています。
 この結果、ガザからはイスラエル軍が撤退しただけで、ヨルダン川西岸の軍事占領はかえって強化されてしまうのではないかという心配の声を多くの人が上げています。

■撤退に伴う攻撃が起きないように

 第三に、イスラエル軍がパレスチナ武装勢力の軍事行動を徹底的に叩くために、撤退前後にパレスチナ側を大規模に攻撃するのではないか? ガザは狭く人口が密集しているために、それによって民間人に多くの犠牲者が出るのではないかという心配もあがっています。イスラエル政府と軍隊がこうした軍事的な動きに出ないように強く求めます。

■パレスチナ側の無秩序が解決されるように

 7月に入ってガザでは自治政府の力が低下し、治安が急激に悪化しています。国連職員など外国人の誘拐事件も何件か起きました。幸い事件はすぐに解決され捕らえられていた人々は無事解放されましたが、こうした事態ははこれまで長年現地にかかわっていた私たちも全く予想しなかったことです。その原因はパレスチナ内部の権力抗争にあって、武装勢力が自分たちの主張を通すための取引材料に外国人を使おうとしたものです。また、治安関係者ばかりでなく司法関係者に対する攻撃もひどくなり、検事総長の家が攻撃される事件なども起きています。すでに、国際赤十字はガザでの活動を縮小し、国連(UNRWA)は外国人スタッフの一時退去を決めています。NGOの活動も非常に大きな制限を受けることになりました。

 エルサレムのイスラム教最高位の指導者が、「撤退を妨害するような動きをしてはならない」という宗教的な権威のあるお触れ(ファトワ)を出していますが、イスラエル軍の撤退を前に、ガザ内部には非常に大勢の治安関係者や自治政府の与党であるファタハの民兵などの武装した人々が入りこんでいて、こうした人々の一部がかえって無法化するのではないかと住民は感じています。また、混乱の中で略奪などの犯罪も増加するのではと心配されています。パレスチナ自治政府と市民には、こうしたことが起きないように自制を求めます。

■パレスチナへの支援が強化され、人々の生活が改善されるように

 イスラエル軍の「ガザ撤退」にあって、私たちはパレスチナへの支援をこれまで以上に強める必要性を訴えます。社会の混乱や秩序崩壊の危機は、長年の軍事占領と自治政府の基盤の弱さ、特に2002年のイスラエル軍事侵攻のもたらした結果を反映しています。たとえば、パレスチナ警察はイスラエル軍の侵攻で大きな人的な損失をこうむり、またもともと貧相だった施設や装備さえ失いました。イスラエルが要求する武装勢力の取り締まりどころか、凶悪犯罪の捜査や防止さえおぼつかないのです。

 社会の混乱は子どもたちや老人、女性などを直撃します。人々が安心して日常生活を営めることはもちろんのことですが、ガザ撤退がそれだけに終わることなく、自立した社会を展望できる政治的、経済的なよりよい結果をパレスチナ社会全体にもたらすように、国際社会は監視と支援を強める義務を有していることを訴えます

 私たちが開校に協力したガザのアトファルナろう学校は、当初は27人の生徒が通う本当に小さな学校でしたが、開校から13年たったいま、250人以上の生徒と70人以上の聴覚障害者の職業訓練生を抱え、聴力の各種検査や補聴器の修理、地域向けの手話講習などを実施する一大施設へと成長しました。パレスチナの人々は決して無力な人たちでも「野蛮な人たち」でもありません。未来を信じて着実に努力を積み重ねることができる社会を築いている人々なのです。

 パレスチナでは人口の半数が16歳以下といわれます。若い世代が未来に向かって前向きに成長できるよう私たちは支援をよびかけます。それによってはじめて地域の安定と平和をもたらすことが可能になるでしょう。

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特定非営利活動法人 パレスチナ子どものキャンペーン
Campaign for the Children of Palestine(CCP)
〒171-0031 東京都豊島区目白3-4-5 アビタメジロ304
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3月14日


悲劇を繰り返さないために
虐殺の記憶が蘇るレバノンのパレスチナ難民

 「内戦」という言葉は、他の地域の人々にとって「他人事」であるかのように印象づけます。もともとその地域にあった民族・宗教間の対立や、土地や利権をめぐる国内勢力同士の争いで、勝手にやらせておけばいいじゃないかと思う人も少なくありません。しかしほとんどの場合、その争いの背景には他国あるいは外部勢力の関与があります。それも特定の利害関係者だけではなく、経済など日本とも浅からぬ関係があったり、ほとんどのケースで同盟国アメリカが影響力を持っています。また逆に、多様な文化や利害関係を抱える国内で外国勢力や独裁政権の支配が、さし当たっての非戦状態に寄与していることも多々あります。
 独裁政権や恐怖政治を肯定するつもりはありません。多くの人々がそれに苦しめられていることについて、地球市民の責任として救済しなくてはならないと思います。しかし単純な原理原則で解決できるものではありません。多くの人々が不満を抱えながらも、それが崩れたときのリスクと比較して、理不尽な政権や制度を受け入れるという現実を選択していることも認めなくてはなりません。シリア国民にとってのアサド政権も、シリアの影響を甘受してきたレバノン国民についても言えることです。様々な立場や考えの人々がいて、一括りにすべきでないことは当然ですが、だからこそ、その背景や構造を綿密に理解した上で評価判断しなくてはなりません。その上で平和と安定のための適切な関与が国際社会に求められます。
 しかしながら、かつてのレバノンで、あるいはルワンダや東チモールで、近くはアフガニスタンやイラクで、人々が恐れ、専門家が予測していた通りの悲劇が起きています。現場で活動するNGOが必死の警鐘を鳴らし国際社会に訴えても聞き入れられず、対立が煽られ秩序が崩壊し、多くの人命が奪われ、難民となりました。
 この底流には「西あるいは北」側世界に住む人々の差別と偏見があります。それは作為的にもたらされた無知に起因します。権力に支配されたメディアによって、一面的な情報だけが伝えられます。たとえば今回のレバノンに関しても、ハリリ前首相の暗殺を受けて5万人規模の「反シリア」集会が開かれたことが、朝日新聞にも写真入で掲載されました。しかし一方、それとは正反対の主張をするヒズボッラが呼びかけた集会に、通常はヒズボッラと対立する人々を含め50万人(一説によると150万人)もの人々が参加したことは、全くと言っていいほど伝えられていません。欧米メディアを見た人の多くは、レバノン国民が皆、シリアの撤退を望んでいると思うのは当然です。シリアは悪いんだ、アメリカが圧力をかけるのも当然だと考えるでしょう。付け加えれば、「ヒズボッラ」と聞くと「テロ組織」というイメージを持つ人が多いと思います。しかし、レバノン国会で議員数では最大の政党であり、医療や教育等様々な社会サービスを担い、多くの人々の支持を集めています。私たちはイスラム組織というだけで、暴力的排他的だと印象づけられるように洗脳されてきました。80年代のレバノンで大虐殺を行ったのはキリスト教の一派であり、それを操ったのは当時国防相だったシャロン現イスラエル首相に他なりません。
 日本もアメリカも民主的な国を自負していますが、民主主義を支える大衆の知識は、完全に支配されています。意識して立ち向かっている独裁政権下の大衆よりよほどタチが悪いとも言えます。この無知が、歴史や多様な人々の立場を無視して「民主主義」を押し付ける「原理主義」を野放しにしているのです。さらに無知の上に、無思考が重なります。本来の民主主義は、自ら考え政治に参加する「市民」が築き上げるものです。しっかりとした現状認識と論理的な思考で、問題の原因とメカニズムを解明した上で判断を下す責任があります。
 単純な疑問からスタートするのも大切です。シリアに撤退を迫っているのは、ゴラン高原やパレスチナ自治区を不法に占領しているイスラエルであり、イラクを軍事占領しているアメリカです。国連決議(1559号)をタテにしていますが、そもそも国連決議を無視してイラクを攻撃したのはアメリカであり、国連決議や再三の勧告を無視し続けているのはイスラエルです。このようなダブルスタンダードを容認する国際社会が、現地の人々をどれほど苦しめ、絶望に追いやっているか、想像できないでしょうか。
 そして今、シリアのプレゼンスが後退することで、私たちが支援しているレバノンのパレスチナ難民は大きな恐怖を感じています。60年近く住みながら市民権もなく、職業の制限を受け、困窮し未来への希望を持ち得ない上に、命の危険を感じています。20年前、サブラ・シャティーラの大虐殺はもちろん、民兵組織の検問所で、言葉の訛りでパレスチナ人と判別され殺されていった記憶が蘇ります。
 実際にレバノン国内を移動するとき、あちこちに検問所があります。レバノン軍、シリア軍、ヒズボッラをはじめ様々な民兵組織、パレスチナ人によるチェックポイントもあります。それぞれ武装しており、私たちも各地域の信頼できる情報をもとに、デリケートな状況を見極めながら動いています。多くの人はシリアが好きなわけでもなく、それらの支配を好ましく思っているわけではありません。それでも微妙なバランスの中で、知恵を使い、自分を守ってきました。現在までの生活はその積み上げの上に成り立っているのです。不満が多々あったとしても、そのバランスが崩れた後の恐怖を身にしみて感じています。

 私たちが過ちを繰り返さないためには、何をしたらいいのか、どのような声に耳を傾けるべきなのか、世界経済で支配的な立場にあり、税金で「軍隊」を中東に送っている国の国民として、ぜひ真剣に考えてもらいたいと思います。

 以下は「パレスチナ子どものキャンペーン」から、パレスチナ難民の安全への注意喚起を求め、最近のレバノン情勢に関して解説する文章です。イスラエルの平和活動家の重鎮ウリ・アブネリ氏の論説と合わせてぜひお読み下さい。


最近のレバノン情勢に関して

パレスチナ難民の安全へ注意を喚起するために 

2005年3月14日
                   特定非営利活動法人パレスチナ子どものキャンペーン

 20年近くレバノンのパレスチナ難民キャンプで、子どもたちの支援事業を実施してきたNGOとして、日本であまりきちんと報道されていない最近のレバノン情勢に理解を促し、レバノンに住むパレスチナ難民の行く末に注意を喚起します。すでに12日にはシリアのアサド大統領が国連のラーセン特使に対して、シリア軍のレバノンからの全面撤退を表明し、部隊の一部はシリア領内に戻っていますが、レバノンでの緊張は継続しています。

 2月14日、ベイルートでレバノンのハリリ前首相の乗った車列が爆破され、ハリリ氏と他に15人以上が亡くなった事件がきっかけとなり、レバノン国内で反シリアの機運が急速に高まりました。「暗殺の背後にはシリアが存在する」「シリアの情報機関のメンバーがベイルート市内には数千人いるというのに、なぜこの事件が起きたのか」という声があがりました。それは、昨年秋に、親シリア派のラフード大統領の任期を延長しようとするシリアとそれに反対した当時のハリリ首相が対立し、ごり押しをしたシリアに抗議してハリリ氏が首相を辞任した経緯があったからです。そして反シリアの気運が高まる中で、2月末に親シリアのカラミ内閣が辞任に追い込まれました。

■米国の対シリア政策

 シリア軍は1976年以来、レバノン国内に駐留し、現在は14000人の兵力が主としてレバノン北部と東部に展開していました。今回、米国がシリアに強い圧力をかける根拠になっているのは、2004年9月の国連安保理決議1559号「外国軍隊のレバノンからの撤退と民兵の武装解除」という内容です。この決議は米国がフランスを説得し、共同提案として出されました。
 これに先立って、昨年5月には対シリア制裁法が米議会を通過しています。食糧と医薬品以外の貿易禁止を決めたこの法案は、上下院で圧倒的な支持で通りました。法案の元になった「シリアの実施責任とレバノンの主権回復法案」については、すでに2004年の早い段階でブッシュ大統領が議会提出の署名をしていました。この背景には「土地と平和の交換」に反対するイスラエルのナタニヤフ元首相(極右リクード)のセキュリティー構想(1996)とそれに共鳴したネオコンの中東構想(ブッシュ政権第1期)の存在が指摘されています。イスラエルの平和運動のリーダーであり、コメンテーターとして名高い、ウリ・アブネリ氏が2月19日付けのコメント「猛犬に注意」(翻訳別掲)で述べている「イラク→シリア→イラン」という米国の中東政策の流れはここに起因します。

 さて、アブネリ氏は3月5日付の論説「今度の十字軍」(翻訳別掲)で、レバノンの将来について新たな内戦への危機感を語っています。こうした見方は、アラブ世界全体に共通に存在するものですが、米国でも日本でも認識の弱さが感じられます。同氏の米国の中東政策についての俯瞰的な見方は、今後を考える上で非常に参考になるでしょう。
 このアブネリ氏の見方は非常に悲観的なものですが、ベイルートの市民、特に中流層の多くは必ずしもそうした見方を取っていないようですし、日本からのツァー観光などもまだ続いているようです。一方でレバノン国内に存在する35万人以上のパレスチナ難民コミュニティーの感じている危機感は、アブネリ氏以上のものがあります。
 なぜなのか? 最近のレバノン情勢について、アラブ以外の世界で見落とされがちないくつかのポイントを確認しておきます。

■シーア派ビズボッラーが大動員

 欧米のメディアの多くが、「レバノン杉革命」「ベイルートの春」として、反シリア派のデモや集会を盛んに報じています。その一方で、3月8日にビズボッラー(シーア派の組織)が反シリアに対抗して政府支持の集会を開き、50万人以上といわれる参加者を集めたことは意外に知られていません。どちらの集会もレバノン国旗で溢れ、スローガンも同じ「外国の介入反対」と「レバノンの主権の尊重」ですが、介入する「外国勢力」を反シリア派がシリアと考えているのとは異なり、親シリア派は米国とヨーロッパをさしています。
 親シリア集会に参加したのはシーア派のメンバーが中心ですが、別の組織アマルのメンバーや、世俗的なナセル主義者なども含まれ、その数は反シリア派の5〜10倍と推測されています。辞任したばかりのカラミ前首相が再び首班に指名された背景には、こうした親シリア派の動員があったと考えられます。ただし、暗殺されたハリリ氏の属するスンニ派の国会議員の中には批判も強く、カラミ氏が多数派を形成できるかどうかは難しいようです。

■ダブルスタンダード批判

 米国がテロリスト組織としているこのヒズボッラー(神様党)は、国会に9議席を持ち(政党として最大)、また社会福祉活動は多くの貧困層から支持を受けています。ゲリラ戦で南レバノンを占領していたイスラエル軍を撤退させた(2000年)実績があり、アラブ世界では権威を持つ組織に成長しました。シリアとイランからの支援は今も続いているようです。ちなみにレバノン内戦に終止符を打った1989年の「タイフ合意」によってヒズボッラーの武装は合法化されました。(ヒズボッラーが、イスラエルのレバノン侵攻によって生み出された組織であることはアブネリ氏の論説に詳しい)

 米国のシリア軍撤退要求に対しては、シリアでも他のアラブ諸国でも、西岸、ガザ、東エルサレムとシリア領ゴラン高原をイスラエルは占領しているから、シリアの撤退を求めると同時に、イスラエルの撤退も求める必要があるべきだ。イスラエルを放置してシリアだけに一方的に要求するのはダブルスタンダードであるという批判の声も強く上がっています。
 さて、米国は中東の民主化をうたい上げていますが、レバノンの選挙制度は決して民主主義的だとはいえないでしょう。国会の議席は1920年代の人口調査に基づいた配分で固定されていて、キリスト教とイスラム教で半分ずつですが、現在ではシーア派が人口の4割に達すると見られているのに、人口配分も議席数も全く変わっていません。これは、レバノンが宗教・宗派的に四つのコミュニティーに分かれ、その危ういバランスのうえで成り立っていることと無縁ではありません。レバノンではこの宗派的対立から、1975年からの15年間に凄惨な内戦が続いたことは記憶に新しいでしょう。暗殺事件から1ヶ月目の3月14日には、ヒズボッラーの集会に対抗して、キリスト教徒とドルーズ派を中心とする反シリア派がこれまでで最大動員の集会を開き、双方の政治的綱引きはエスカレートしています。

■パレスチナ難民はどうなるのか?

 忘れてはならないのは、レバノンに住むパレスチナ難民(約35万人、レバノン人口の10%)の今後に新たな不安材料が発生したことです。シリアはキリスト教徒右派勢力やアマルなどとパレスチナ難民キャンプを攻撃した歴史もあり、シリアとパレスチナ難民の関係は単純ではありません。しかし今心配されているのはシリアの撤退した後に予想される軍事的な空白で、民兵勢力が排外主義的な動きに出るのではないかということです。1982年のベイルートの虐殺事件(犠牲者約2000人)は、イスラエル軍がベイルートを包囲する中、PLOが撤退し国際監視団も撤退した後にキリスト教右派のカタエブという民兵組織によって引き起こされました。85年から87年のキャンプ戦争では、シーア派のアマルという民兵組織がシリア軍の黙認のなかで難民キャンプを包囲攻撃し、多くの犠牲者が出ましたが、これも84年の米軍の撤退と無関係とはいえないでしょう。

 そのためハリリ首相の暗殺事件直後から、パレスチナ人たちの間で強い動揺が広がっています。レバノンに住むパレスチナ人は、1948年のイスラエル建国で難民となり隣国のレバノンに逃れてきた人たちですが、市民権が全くなく財産も保障されない、社会保障システムから排除される一方で厳しい就労制限があるなど、全世界のパレスチナ難民のなかでも、最も経済的政治的に弱い立場にあり、1993年のオスロ合意の枠組みからもいわば除外され棄民とされてきました。

 レバノン自体が非常に小さな国で、その国民の多くが南米などへの移民となっています。そこに人口の10%を越える難民が流入したわけですから、レバノンとパレスチナ人の関係はもともと複雑です。そのうえに70年代から82年までレバノンに拠点を置いたPLOの一部は、特に南部レバノンで軍事力を背景に傍若無人な行動を取り内戦にも参加し、レバノンでは嫌われ者になりました。82年PLO排除を掲げたイスラエルのレバノン侵攻では、パレスチナ人レバノン人合わせて2万人以上が犠牲となり、内戦は更に悪化しました。PLOはレバノンを撤退しましたが、残された普通のパレスチナの民間人が、PLOへの怨嗟矛先となり、虐殺事件やキャンプ戦争などの犠牲となった悲しい歴史があります。国連決議では彼らが故郷に帰還する権利が認められていますが、実際にイスラエルはこれを認めないために、レバノン以外に行く場所もありません。

 パレスチナ人たちの多くは20年前の記憶を生々しく甦らせ、将来への不安感が著しく増大しています。政治的な空白の隙間で、二度と虐殺事件などが起きないように、国際社会は監視を強める必要があります。また、半世紀以上放置されてきた難民問題の解決にいまこそ本腰を入れなければならないのです。

(参考:ウリ・アブネリ「猛犬に注意」、同「今度の十字軍」


3月12日
戦争するなら徴兵制?!

 久しぶりに「TUP速報」の記事をご紹介します。憲法改正を俟つまでもなく、戦争放棄を放棄して、戦争する国(戦争に参加する国)となった日本では他人事ではない話です。私も精一杯、平和に向けて努力するつもりですが、それでもこのまま進むとしたら、徴兵制にして、兵役の義務を公平に課すべきだと思います。
 “その気になれば”という前提は付きますが、いくらでも戦争の実態を知ることができる今のアメリカにおいて、これほど大きな矛盾を抱え犠牲を出しながら、ベトナム戦争の時と比べても世論が無関心なのは、徴兵制ではないからだと思います。今のアメリカの「兵隊」たちの多くは、貧困、失業、学校からのドロップアウト、刑務所に行くか海兵隊に行くか選択を迫られた者、永住権を取得したい外国人など社会から切り捨てられようとしている立場の人々、そしてあとは「戦争好き」です。ですから今のアメリカでは、イラクでどんなに犠牲者が出ても、反戦の世論は盛り上がりません。「しょうもない連中が戦死するのはアメリカの国益」とまで言う人がいる始末です。
 一方、国民皆兵が原則のイスラエルや韓国では、戦争に対して問題意識も高く真剣な議論がなされます。みんなが自分自身の問題として考えるからでしょう。
 私は今、NGOの立場や民生児童委員として、学校や地域の子どもたちの現状を目の当たりにしたとき、このまま行くと軍隊に絡め取られ、それも単なる頭数や人海作戦で消耗されるしかなくなるのではないかという危惧が頭を過ぎります。
 子どものいる方にはぜひ、このアメリカの母親のメッセージを一読していただきたいと思います。
アメリカの教室に侵入した軍国主義 生徒を戦場に追い立てる

3月2日

「自爆テロ」ということばについて
 ウリ・アブネリ氏が懸念した通りの展開になっています。テルアビブで起きた「自爆テロ」に関して、イスラエルのみならずパレスチナのアッバス新首相も、すかさずシリアの関与を言明しました。レバノン前首相のハリリ氏暗殺以来、シリアを悪役とみなす一連の事件に関しては、専門家や関係筋の間ではかなり疑問視されているにもかかわらず、ブッシュ政権にとって都合のいい展開になっています。米国の利権にとって邪魔な存在であるシリアに対して、「これは叩かんとイカンな」というムードがつくられています。おかしさに気づかせないイメージの固定化をする「自爆テロ」ということばについて考えてみたいと思います。

 「自爆テロ」と聞いて何を連想するでしょうか? 「イスラム過激派」「アラブ人」と結びつける人が多いのではないでしょうか。この言葉がメディアで語られるとき、確かに「事件」という事実がそこには存在しています。悲惨な光景や被害の大きさがセンセーショナルに伝えられます。犠牲者への同情や犯人への怒りが否応なく掻き立てられます。当然それ自体が許しがたい行為であり、そのような感情を抱くことは人間として至極当然のことです。しかしニュースを感情で捉えると、「真相」と「背景」という重要なことに関して、深く掘り下げられなくなります。「怒り」に心が支配されることによって、合理的な思考が阻害され、気づかなくてはならない真実から遠ざかります。それまでにインプットされた「思い込み」がさらに思考を停止させます。

 ところで、「自爆テロ」という言葉はおそらく日本独自のものです。英語では。“suicide bombing(自殺爆撃)”とか“suicide operation(自殺作戦)”と表現され、「テロ」という言葉はそれ自体には付きません。日本のメディアがいつからこの言葉を使い始めたのか調べてみたいところですが、日本人のイメージや思い込みと深い関係がありそうです。
 私が言葉(用語)にこだわるのは、その広まり方使われ方が、特定の人々への先入観を植え付けるのに大いに役立つからです。かつて「民族浄化」という用語を作り出し、それとセルビアのミロシェビッチ大統領とを強く連想させるように仕向けた米国の広告代理店ルーダー・フィン社のサクセス・ストーリー『戦争広告代理店−情報操作とボスニア紛争』(高木徹著、講談社刊)はぜひ皆さんに読んでいただきたい本です。真実であろうとなかろうと、多くの人々に思い込ませることで、特定の集団(あるいは個人)に致命的なダメージを与えることができます。
 逆に言えば、私たちは思い込みにより、勝手な差別や反感を持つことにより、罪のない人々を苦しめたり、不当な扱いを受ける人々の問題の解決を阻害しているのです。もちろんそれが、ゆくゆくは自分達の未来も暗くしていくことは言うまでもありません。

 また、「自殺攻撃」が「テロ行為」であることは間違いないのですが、それでもなぜ「自爆テロ」という言葉を問題にするのかと言うと、ブッシュ米大統領が「テロリストに付くのか、我々(正義)の側に付くのか」と言うように、テロという言葉がアメリカの軍事戦略の道具として使われているからです。アメリカの敵か味方かという立場に、勝手な評価をつけています。私は、イラクやパレスチナで活動する、信頼できる人々からの情報をもとに、一般のメディアではほとんど伝えられない現実を知っています。確かに「テロ」は悪ですが、同様のテロ行為だけでなく、犠牲者の数だけでなく、比べようもない次元での大悪行為を、アメリカやイスラエルがおこない続けているにもかかわらず、「自爆テロ」の見出しばかりが踊り、人々が踊らされ、「テロ=アラブ」のイメージが固定化されます。
 実際、事情のわかった現場のジャーナリストは「自爆テロ」という言葉を使わないと言います。しかし、デスクの判断かスポンサーの意向か、はたまたアラブ人にそういう役柄を期待する大衆の期待かわかりませんが、日本で紙面になるときはそうなるのです。
 私は決してアラブ寄りとかアラブ側に立つわけではなく、軍国主義者でもなく、行為を肯定するわけでもありませんが、単にアラブ人の心情を多少理解する一人として日本語にするなら、むしろ「カミカゼ爆弾」とか「特攻爆弾」にすべきだと思います。そうすれば少しはアラブ人の現実にも目が向けられるのではないでしょうか。

2月26日
和平の実現は楽観的?悲観的?−−−パレスチナの現状と今後について
 アラファト氏の死去から混乱が懸念されたパレスチナ情勢ですが、選挙によって新しい政権が誕生し、イスラエルのガザからの入植地の撤退も進められ、表面的には和平へのかすかな期待もあります。しかし一方、隔離壁の建設が続けられるなど、根本的な原因である占領政策は止まっていません。そんな矢先、レバノンのハリリ前首相が暗殺され、新たな火種が起こり不穏な空気が流れています。そこにはイスラエルを利用して利権と覇権を狙うアメリカの戦争戦略があるのは明らかです。マスコミがまともに伝えず、理解しにくい今の状況を、このHPではおなじみイスラエルの平和活動家ウリ・アブネリ氏の論説を添えて解説します。
和平ムードが生まれた

 1月9日パレスチナ自治政府議長として選出されたアッバス氏は、2月8日にはイスラエルのシャロン首相とエジプトのシャルム・アル=シェイクで首脳会談を持ち、そこで双方が停戦することを宣言したというニュースは世界を駆け回りました。米国のライス国務長官も中東を歴訪し、アッバス、シャロン両氏と会談をしました。イスラエル閣議は、シャロン首相の「ガザ撤退計画」を承認し、7月にはガザからイスラエル軍の撤退が予定されています。
 ブッシュ大統領もヨーロッパ訪問で「ロードマップ」の再生を謳い、2000年秋から続いてきたパレスチナとイスラエルの軍事衝突が終り、平和が実現するのではないかという雰囲気が生まれました。和平ムードのなかで、パレスチナへの経済支援も増えるようです。多くの方々が、「よい方に向かってきた」と感じられているのではないでしょうか。
 平和のため状況の変化と安定を求めるパレスチナ・イスラエル双方の人々の思いが実現して欲しいと、私たちも期待を寄せているのですが、「本当に大丈夫なの?」という心配を払拭することはできないのが正直なところです。そしてパレスチナ側では和平ムードは感じられません。というのも2003年夏にアッバス氏がパレスチナ自治政府の首相に任命されながら、4ヶ月で辞職に追い込まれた時期の苦い教訓があるからです。そして何よりもパレスチナの日常生活には大きな変化がないからに他ありません。
 そこへ2月14日レバノンでハリリ前首相の暗殺事件が起きたことは、中東全体が暗雲に包まれるのではないかという予感さえ孕んでいます。なぜそうなのか?マスメディアではなかなか報じられない状況を少しご紹介します。

2003年の停戦が破れたわけ

 この前アッバス議長が登場したのは2003年の春でした。米国が提唱した「ロードマップ」と呼ばれる和平案を実現するため、イスラエルと米国はアラファト議長を排除し、パレスチナの武装勢力を根絶やしにすることが必要と考え、93年のオスロ合意の立役者で穏健派として知られるアッバス氏を交渉相手として選択しました。パレスチナ側は2000年から始まったインティファーダ、特に02年のイスラエル軍の大侵攻によってインフラが破壊され多くの犠牲者を抱え、選択肢はありませんでした。アッバス首相は、ハマスなどパレスチナの武装勢力と停戦に向けた交渉を精力的に進め、内戦を避けようとハマスもそれに応じました。ところがイスラエル側は要求をどんどんエスカレートさせ、シャロン首相は6月のアカバ首脳会談の前に、ハマスの停戦など意味はないと述べています。そして6月10日以降、ハマスの指導者やメンバーを狙った暗殺事件が連続しました。8月にはハマスの和平派リーダーが暗殺されます。イスラエル側の挑発といってよいでしょう。その結果、ハマスの指導部が知らないうちにメンバーによる大規模な自爆事件がw)」謄襯▲咼屬離丱垢乃・海気譴泙靴拭・海Δ靴督篝錣・・漁ぢ週間で終りを告げ、再びイスラエル軍の爆撃と自爆事件が繰り返され、多くの人が亡くなったのです。米国は和平に関心を無くし、アッバス首相は辞職しました。

占領は続いている

 パレスチナ人たちのあいだに和平ムードが見られないのはなぜなのか? 毎日の生活が変わらないからです。住んでいる場所によっては、隔離壁が広がり、土地没収、家屋破壊が続くなど却って悪くなっているかもしれません。子どもや大人の犠牲も続いています。「停戦」が宣言された2月8日〜20日までの間だけで2人の子どもを含む8人のパレスチナ人が殺されました。(イスラエル側の死者は出ていません。)
 最近イスラエル閣議で承認され、7月から予定されている「ガザからのイスラエルの撤退」についていえば、ガザの中からイスラエル軍や入植者がいなくなることを人々はもちろん歓迎しています。しかし、右派勢力を中心に入植地からの撤退に反対する世論がイスラエルでは根強いために、実現を危ぶむ声もたくさんあります。そのうえ、撤退後もガザは周りをイスラエルに取り囲まれ、西岸との行き来もままならないことには変わりない。またガザの入植地の代わりに、エルサレム周辺の土地がイスラエルに併合されるという心配もあって、日本で考えられているよりも現地での人々の反応は醒めています。
 占領は相変わらず続き、明日が知れない状況は変わっていません。それでも人々は毎日を精一杯生きています。恐怖に支配されないためだ、とジェニンに住むパレスチナ人が言っていました。

中東での次の戦争の可能性

 2月14日に起きたレバノンでの爆弾事件によるハリリ前首相の暗殺によって、中東の状況は大きく動いています。レバノンには1万5千人のシリア軍が駐屯しています。以前はシリアとの関係が良好だったハリリ氏ですが、最近反対派に参加していたため、この事件の背後にはシリアがいるのではないかといわれ、レバノンの世論は反シリアに大きく傾いています。そして、米国やイスラエルもシリア軍撤退を声高に叫び始めました。そもそも、レバノンの内戦時に形勢不利となったキリスト教右派が、治安維持を名目に隣国のシリアに支援を求めたのがきっかけでシリア軍はレバノンに入り、その後のイスラエル軍による侵攻や長年続いた内戦時期を通じて、30年駐留する状況が生まれたのです。
この「シリア犯人」説に異議を唱えているのが、イスラエルの平和運動の指導者で論客のウリ・アブネリさんです。誰が見ても自国に不利になる状況を果たしてシリアは作り出すだろうか? なによりも、イラク戦争と占領、現在のイランの核兵器開発問題への米国の対応と同じく、「悪の枢軸」シリアを叩き、米国とイスラエルに都合の悪い勢力を中東からなくすのが、ネオコンと呼ばれるブッシュ政権を支える右派のシナリオだというのです。そのための戦争準備を米国もイスラエルも始めているとまで、アブネリ氏は書いています。
 実はこの問題は、レバノンやシリアに住んでいるパレスチナ難民にとって決して他人事ではありません。特にレバノンのパレスチナ人たちは、過去シリア軍に迫害された経験をもちながらも、シリアがいなくなれば、以前のように内戦状態になり虐殺事件が起こるのではないかと非常に恐れています。恐ろしかった過去を思い出すと、人々は語っています。

 もとより現在の和平ムードに水をさすことが本稿の目的ではありませんが、2年前に起こったことさえ私たちはすぐに忘れてしまいがちです。まして20年前のことなど知らない人がほとんどだと思います。今回の希望や可能性をムードだけで終わらせないためには、国際社会が同じ轍を踏まないように気をつけることも大事です。あらためて、私たちにできることは何かを考えなければなりません。

2月17日 家庭を電卓に!
 京都議定書がいよいよ発効しました。今日はそれにふさわしい明るい情報です。
 寿光院の屋根には、NPO法人「足元から地球温暖化を考える市民ネットえどがわ」(略称:足温ネット)が運営する“市民立江戸川第一発電所”の太陽光発電パネルが設置され、年間約6000KWHの電力を産み出しています。これは寿光院の年間消費量を賄う数字です。しかし当然ながら昼間しか発電しないので、昼間の余った電気は東京電力に売って、夜や雨の日は東電から買っています。売らずに貯めておきたいところですが、従来のバッテリーの効率や寿命を考えると現実的ではありません。緊急用ということであっても、エンジン式の発電機を備えるほうがよほど合理的です。
 ところがついに、そんな問題を解決する希望が出てきました。キャパシタというコンデンサー方式の電池の登場です。株式会社パワーシステムという会社が、この8月から量産することになった「ECaSS(イーキャス)」というこの電池の革命的な特徴に注目してください。http://www.okamura-lab.com/jpn/index.html
  ・バッテリーが4年で寿命になるのに、キャパシタは半永久に使える。
  ・急に大きな電圧を出すことはバッテリーにはできないが、キャパシタには可能。
  ・バッテリーでは数時間かかっていた充電時間が、キャパシタは数秒ですむ。
  ・バッテリーの入力と出力の損失率は40%近いのに対して、キャパシタはわずか5%程度。
  ・バッテリーは小さな電気を少しずつ入れることができないのに対して、キャパシタはわずかな量を少しずつでも入れられる。
  ・バッテリーは寒いと使えないが、キャパシタはどんな過酷な場所でも使える。
  ・唯一の欠点であった、キャパシタは大きくなりすぎる点についても、新たなナノゲート方式では通常のバッテリーサイズにできた。
  ・活性炭とアルミが主たる素材のため有害物質を含まず、量産化されれば安価になる。
 もちろん価格などの点で、すぐに導入できるものではないでしょうし、問題があるかもしれませんが、私たちの夢を現実化する大きな可能性を持っていると思います。

 私たちの夢とは、まず一言「家庭を電卓にする」ということです。みなさんの電卓には、たいてい小さな光発電パネルがついているでしょう。それが「動力」になっていて、電卓を使うためにコンセントを探す人はいないと思います。つまり各家庭が自然エネルギーで自立できればいいなということです。そんなの無理だと思われますか? 平均的な4人家族の家庭なら、畳8畳分の太陽光パネル(出力3KWH。ちなみに寿光院は5.4KWH)で賄えます。決して不可能でないことは寿光院の発電実績も証明しています。
 そして私たちは、もう一方のアプローチにより、さらに現実的な可能性を手にすることができます。それは省エネです。
 日本の家電製品の省エネ性能は、この7〜8年で飛躍的に伸びました。家庭の電力消費の3分の2を占める、エアコン、冷蔵庫、照明、AVにおいて、どれも軒並み50%以上の省エネを達成しています。冷蔵庫に至っては80%以上。しかもノンフロンです。
 冷蔵庫のドアを開けて内側のラベルを見ると、その冷蔵庫が年間でどれくらいの電気を消費するかが表示してあります。数年前のものであれば、300数十リットルの家庭用で600KWH〜800KWHというのが多いのではないかと思います。それが1999年以前のものであれば、ドアの開閉を考慮しない数字なので、その数値を1.6倍したのが実際の消費量といわれます。つまり消費電力量600KWHと表示されているものは、実際は960KWHを消費していると考えられます。1000数百KWHのものもざらにあるはずです。それに対し、現在市販されているノンフロンの省エネ型は、430〜450リットルの大型で年間200KWHを割るようになっています。
▽参考
ナショナル http://prodb.matsushita.co.jp/product/comp.do?pg=16&hcd=00002712
東芝 http://www.toshiba.co.jp/webcata/refrige/gr_nf466f.htm
三菱 http://www.mitsubishielectric.co.jp/home/reizouko/index.html
シャープ http://www.sharp.co.jp/products/sjpv43h/text/p6.html
節電ネット家電ランキング http://www.setsuden.net/ranking/htm/rank13.html
 前述のとおり寿光院では毎年6000KWHを発電しています。その分、化石燃料を燃やさずにすむことで温暖化防止に貢献しています。しかしその設備には600万円の費用がかかりました。一方、もしいま800KWHの冷蔵庫を使っている家庭が10軒、200KWHのものに換えれば、6000KWHを発電したのと同じ効果があると言えます。それに必要な資金は1台12万円としても120万円で済みます。
 そこで足温ネットでは、買い換えによって安くなる電気代の5年分を無利子で融資する事業を行っています。
http://www.sokuon-net.org/kaikae/kaikae.html
 年間800KWHの節電が見込まれるなら年間2万円近く安くなるので、そのういた分5年で返してくださいというものです。平均的な家庭起源のCO2排出の48%(火力発電換算)を占める電力消費の17%に当たる冷蔵庫が80%を節電すれば、それだけで6%以上のCO2排出削減になる計算です。極端に聞こえるかもしれませんが、原発建設にかける5000億円で、省エネ冷蔵庫購入資金として500万軒の家庭に10万円ずつ貸せば(500万台も買うならもっと安くなるでしょう)、年間30億KWH分の発電所が必要なくなりますよね。そして放射性廃棄物の処理・保管や環境破壊のコストが圧倒的に削減されます。
 冷蔵庫は、エアコンなどと違って使い方によるブレが少なく成果が見えやすいので今回の融資対象品目としましたが、足温ネットが開発した「省エネゲーム」をやればわかるように、他のアイテムも含め300万円も投資すれば、我慢や努力をせず今の生活そのままに60%以上の排出削減が可能なのです。それだけ圧縮すれば、ますます自然エネルギーの可能性は開けてきます。

 さて、日本の家電メーカーの力(拍手ッ!)とはいえ、私たち生活者の側では、目標(6%なんて馬鹿にしてますよね、ホント)達成はカルいということはご理解いただけましたでしょうか。しかし本気で温暖化対策に取り組むのなら、もっと前にやるべきことがあります。いくら家庭がガンバっても、それはもともと全体の13%にすぎません。民生部門が3分の1と言われますが、それは24時間明かりを目一杯点けているコンビニやオフィス、飲食店、デパート、ホテル、病院、学校なども含んでのことです。対策するなら本来、いちばん大きな原因を作っているところから攻めていくべきです。
 実際日本で誰がどれくらいCO2を出しているのかを調べると、開示された上位100の事業所で、全体の25%を排出しています。明らかに大量に排出していながら開示していない鉄鋼やセメントなどを加えると、たった200の事業所で50%を排出していると考えられます。だとすればその200の事業所が10%の削減をすれば、日本全体で5%の排出削減が可能です。それなりに統制も取れ、資金力のあるところでしょうから、施策を講じることで、家庭よりもよほど効果は出やすいはずです。
 そして、自然エネルギーを主体に家庭や地域が自立できれば、少なくとも今の戦争は無意味になります。イラク戦争やアフガン攻撃はもちろんのこと、津波の被害に遭ったアチェや悲惨な民族独立運動で混乱するチェチェン、米国が政府転覆をもくろんだベネズエラなど、すべて石油利権の争いが原因です。つまり温暖化対策は平和のための活動でもあるのです。