図解 「テロとの戦い」の本当の対立軸
そして人々のかかわりと可能性
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いま世界は、「テロとの戦い」を口実に、多くの人々が命を奪われています。しかし私には、日本も参加しているこれらの戦争が、一部の利権のための戦争としか思えません。戦争には大義名分が必要ですが、それは人々を巻き込むための大義名分であって、理由は別にあります。常にそうであったように。その理由と構造を捉えるための一つの例として、私が10数年来かかわってきた、イスラエル・パレスチナに関する私見を述べます。ご批判ご意見をお待ちしています。 |
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イスラエルとパレスチナ、あるいはユダヤとアラブ(イスラム)の戦いという、民族紛争あるいは宗教対立というのが、一般的な認識です。確かに地理的にも、実際に戦っている現象としてはそう考えるのは自然なことかもしれません。
しかし、実際にこの地域で人々と接し、支援や交流活動を行ってきた者としては、まったく別の対立軸が見えます。 |
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当たり前のことですが、どちらの国や地域でも、大多数の人々(PEOPLE)は、自分や家族の幸福を願いごく普通に生活しています。
そしてイスラエルにもパレスチナにも、暴力によらない平和的な解決をめざし、相互の協力や信頼を積み上げようとするNGOや平和団体がいて、人々に呼びかけながら活動しています。
一方、実際に軍事行動やテロ行為のような暴力で支配しようとする、あるいは力による解決を主張する、イスラエルのタカ派やパレスチナの過激派と呼ばれる勢力があります。今の時代通常は、どちらにおいても、特殊で極端な輩と考えられ、大多数の人は距離を置いている存在です。 |
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しかし、イスラエル政府がパレスチナ人に対し強硬な軍事支配で圧迫したり、シャロン党首がイスラム教の聖地に侵入するなどの挑発をすると、 |
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過激派がメンツにかけてテロ行為を仕掛け、
そのテロに対する怒りと不安が、イスラエルでタカ派の支持を伸ばします。 |
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そうすると、イスラエルは、テロ対策を口実に一層強攻策をすすめ、家屋や農地、工場などを破壊していきます。
さらに自由を奪われ、生活が困窮するパレスチナでは、人々は宗教勢力に頼らざるを得ない状況も生まれ、過激派のプレゼンスが高まります。
肉親や同胞が連行され、殺され、虐げられるのを目の当たりにし、絶望的な状況に追い詰められた人々は、家族の未来や民族の誇りのために、命の危険も顧みず抵抗するようになります。
その結果、イスラエルでは社会不安が煽られ、パレスチナへの締め付けや攻撃、人権侵害が正当化されます。 |
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このように「暴力の連鎖」と言われる状況を構造的に捉えると、本当に対立しているのは、イスラエルとパレスチナという(この図における左右の)対立ではなく、力によって支配したいあるいは紛争(状態)を好む勢力と、信頼と話し合いで解決をめざす勢力という対立軸が見えてきます。
紛争の拡大を利用して、双方の社会で武闘派が人々を絡め取っていくという点において、イスラエルのタカ派とパレスチナの過激派は利害が一致しているのです。
そうなると、平和的解決を望むNGOや市民運動などは、暴力的な対応に反対することで、非国民やスパイ扱いされ、大衆は遠ざかってしまいます。 |
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暴力は常に「被害」を口実に実行され、相手に責任を転嫁します。その人々の感情やムードが武闘派を後押しし、暴力的な政策やテロ行為を容認し、不幸を拡大していくのです。
しかし、それを構造的に捉えると、この「対テロ戦争」の「暴力の連鎖」に乗せられ、それを推し進めていく「人々」の役回り、言い換えれば責任に気づかされます。
それは同時に、戦争を止める可能性が「人々」にはあるということでもあります。
確かに厳しい状況ではありますが、私たちは今まで同様、平和を希求し、足元から平和と人権のために活動する人々と連帯し、真の市民社会を築いていきたいと思います。そのときは(どの世界にも少しはいる)「武闘派」も、一つの政治勢力として「民主的に」参加することでしょう。 |
大事なあとがき
以上の図解で表現できなかった大事なことがあります。それは、最初の《左右》の対立が、じつは「対立と呼べるようなものではない」ということです。つまり、両者には圧倒的な立場の違いがあるということです。軍事占領という形で支配する側と支配される側を、普通は「対立」とは言いません。
これはイスラエル・パレスチナ問題を考えるとき、しばしば欠落する点です。
この問題を解決するのは、「和解」や「信頼」ではなく、その前に「人権」を問い、「解放」がなされなくてなりません。
その意味でも、私たちは事件や現象のみに振り回されることなく、感情に揺さぶられることなく、冷静に構造を見極めることで、私たちの使命と可能性が見えてくるはずです。 |